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少林寺拳法部創立の頃
 昭和45年5月に本部より正式認証を受け、学内で活動が開始された。
 当時、太田達雄先生の青葉拳法部で修行していた同41年入門の北 独、柴田邦彦、村上一と同42年5月入門の田中正春、細屋直昭、伊藤雅俊らと、東北工業大学に拳法部を創ろうと話し合い、学生に呼び掛け7、8名で愛好会として発足した。
 初めは、練習場所確保等でいろいろ苦労をしたが、幸い各部の皆様のご好意により、剣道場、柔道場を使用する事ができました。
 同43年3月の初合宿(工大合宿所)において、部員が15名程度となり、練習にも活気が出てきた。
 上記のメンバーに加え、丹野忠明、佐藤一男、稲毛佳尚、光井武、佐々木俊幸、久我哲郎、渋谷明、等々、野武士集団の結成であった。
 同43年4月に初の後輩部員加入にあたり、一挙に50名以上の部員に膨らみ、同年6月の第1回東北学生大会において、団体演武優勝、個人演武決勝進出[稲毛・丹野(3位)、田中・細屋組、北・佐藤組]を果たし、総合優勝は逃したものの、創部1年で将来の基礎となる輝かしい戦歴を残し、学内においても「同好会」に昇格となった。
 前OB会相談役の平山先輩が名城大学卒業後コーチに就任され、我々の良きアドバイザーとして助言を賜り、真のクラブ活動の形となってきたのもこの頃である。
 同44年3月、北海道美瑛町白金温泉にある国立大雪青年の家において、初の遠征合宿を行い、数々のエピソード及び思い出を残したものでした。
 同44年6月の第2回東北学生大会において、団体演武、団体乱捕優勝、個人演武2位の総合優勝を飾ると共に、「部」への昇格となった。
 
 

 団体演武に工大の型と名称したのも第2回学生大会の時であり、部旗、バッチ、堂、グローブ等の備品を数多く揃えたのも、この頃この時代である。
 東北工業大学初の東北学生連盟委員長に田中正春(第3回学連委員長)が就任し、我々部員全員が一心同体となり、委員長を盛り上げ、同45年6月の第3回学生大会を見事成功させると同時に、2年連続総合優勝を成し遂げた。
 また、全日本学生大会(日本武道館)においては、同44年11月の第5回大会より出場し、現在に至っている。
 当時東北工業大学と東北学院大学の拳法部は、良きライバルであり、良き友人でもあった。互いに少林寺拳法の普及のため、実践活動を行い、合同練習、意見交換会等を積み重ね、クラブや学生連盟の基礎作りに大いに貢献した。
 また、北海道の大学が、第3回東北学生大会にオブザーバーとして参加し、その直後東北学生連盟の援助のもと北海道学生連盟が誕生した。